熊野せいし”ヒューマンヒストリー”

01.少年時代

01.少年時代

亡き母に誓った志(こころざし)もっと見る
1965年(昭和40年)、兵庫県姫路市生まれ。何不自由なく暮らしていた小学4年の時、母親が病に倒れ、帰らぬ人に。36歳の若さだった。
追い打ちをかけるように、父親が事業に失敗。経済苦のため、食べるものもままならない生活に。
熊野は妹と共に広島に住む祖父母と暮らし始める。
不遇な中にあっても祖父母をはじめ、多くの人に支えられ”思いやり”の温かみを知る。
生前、母に語った誓いがあった。「医者になり、人々の命を守りたい!」熊野は医学の道へ、勉学を重ねた。

02.中学・高校時代

02.中学・高校時代

”努力”と”忍耐”で勝ち取った医学部合格もっと見る
祖父母は年金暮らしの中、生活費をギリギリまで切り詰め、熊野と妹を育ててくれた。
熊野も中学2年から約5年間、新聞配達のアルバイトで家計を支えた。
一方、中学・高校時代には陸上部に所属。短距離走の選手として県大会で優勝の経験も。
この間一心不乱に勉強し、国立愛媛大学・医学部への現役合格を勝ち取った。

03.学生時代

03.中学・高校時代

苦学の末に果たした”誓い”もっと見る
進学後は、奨学金やアルバイトで学費と生活費を工面し、学問に没頭。
帰郷するたび、熊野が成長している姿に祖父母は心から喜び、帰り際には必ず手作り弁当を持たせてくれた。
熊野は愛媛へ向かうフェリーの中で、熱い涙をこぼしながら弁当をほおばり、決意を新たにする。
そして1990年、医学部を卒業。ついに念願の医師となって”亡き母との誓い”を果たしたのだ。

04.医師時代

04.医師時代

最高の診断なくして、最高の治療なしもっと見る
熊野が選んだのは、「放射線科専門医」。
「最高の治療は、最高の診断から始まる」と考え、MRIやCT、レントゲン写真などの画像診断を行ってきた。
診断数は、年間1万件を超える。
1997年には医学博士号を取得。近畿大学や大阪大学の医学部付属病院などで勤務した。
診断に携わる一方、大学では放射線医学を学生たちに教えてきた。